2013年2月27日水曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その5-

ガラスの歴史を紐解くと、次から次へと目からウロコが落ちて、一体私の目はどれだけ厚いウロコの層に覆われているのか、と愕然としながらも興味が尽きません。不得意だった世界史にも自然とリンクしまくり、面白いのでとめどなく脇道に逸れてしまいます。
収拾がつかなくなりそうなので少し整理して、今後のプランを立ててみます。
まず、始めてしまったのでガラスの歴史の流れをこのまま旧から新へと大雑把に追ってゆきます。
古代ローマンササンイスラムヴェネツィアンボヘミアンアールヌーヴォーアールデコという予定です。
次に、『これだけは知っておきたいアンティック・ガラス用語集』みたいな(よく骨董雑誌の最後のページ近くにあるアレです。)のを画像付きで掲載 します。
思えばずいぶん大それた事を始めてしまったものです。トホホです。でも、がんばります。

【ローマン・ガラス】紀元前1世紀中頃から4世紀末まで
ローマンガラスとは、紀元前27年から395年まで続いたローマ帝国内で作られ、流通したガラスの総称で、400年以上の時間と、地中海沿岸全域に加えヨーロッパのほぼ全域と中東の一部まで含む広大な領域を包括する世界だけに、その内容は実に多種多様です。
それまでの古代のガラスと一線を画す最大の要因は、紀元前1世紀中頃に吹きガラス技法が発明されたことです。
従来のガラス製法を一変してしまった吹きガラス技法によって、大量生産が可能になり、またそれまで不透明な色ガラス製の貴重品的な小品しか作られなかったのが、大きく透明な実用的なガラス器が作れるようになった為、値段が200分の一まで暴落し、ガラスの価値観がガラリと変わった時期でもあったといわれます。
当時のガラスの普及状況を表す例として、西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火により一瞬にして埋没したポンペイの遺跡の家々に残る壁画に描かれたガラス器の絵があります。勿論、絵だけではなく、実際に多くのガラス器が発掘されたそうです。
ローマンガラスの画像を見ているだけでも飽きないほど美しいガラス器が色々あり、2000年も昔に今と変わらない、或いは今より優れた物が作られ、使われていた事実に驚嘆します。
画像はアメリカのコーニング・ガラス・ミュージアムと大英博物館のサイトからお借りしました。
詳しい解説を読まれたい方は、画像の下のリンクからご覧になれます。

透明ガラスの果物鉢  ポンペイの遺跡の壁画より

 ポートランドの壷(古代ガラスで最も有名なカメオガラス)AD5-25  
リボンガラスのカップ BC25-AD50                   型吹きガラスの剣闘士文カップ AD25-75

(左と中央)型吹き+アプリカシオンのカップピッチャー 2点とも同じ作家エニオンのサインが入っている AD25-75  
(右)ヴィトリフィカシオン+アプリカシオン吹きガラスのピッチャー AD40-75

(左から)吹きガラスにカットのタンブラー AD75-125   吹き+アプリカシオン(無着色)典型的なローマンガラス AD100-199
パット・ド・ヴェールのアクセサリー AD100-299   吹きガラスにグラヴュールのボトル AD275-325

ディアトレッタの吊りランプ AD300  吹き+アプリカシオンのタンブラー AD200-399  鋳造+マルケトリーの皿 AD300-499

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