2013年5月24日金曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その14-

実に丸々2週間もブログの投稿をさぼってしまいました。
その間に、私を取り巻く小宇宙がどのように変わったかといいますと、まず美しい筈の五月が梅雨かと思えるほど天気が悪く、おまけに薄ら寒いグレーな五月と化してしまいました。
そしてリラの季節が過ぎ去り、薔薇の季節が始まろうとしています。
五月の大事なイヴェント、バスティーユの春の骨董市があり、開催前日と最終日の前日の2回宝探しに出かけました。
友人のお腹の中に入っていた時から知っている女の子が、出産してお母さんになったというニュースに驚嘆し、時の流れをしみじみ実感しました。
姉妹社ショップに新着品をUPしました。お客様の反応が今ひとつで、空模様と同じくちょっと気分が薄曇りです。
でも、お天気といっしょで明日は晴れるかも、って私は結局『お天気屋』?
以上、この2週間のダイジェストでした。

長らく中断しておりましたガラス豆百科、再開いたします。
まだアール・ヌーヴォーの続きです。しつっこいですねぇ、全く。

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《パリ派 Ⅰ》
ナンシーより少し早く、1870年頃からアールヌーヴォーの兆しが表れ始めたパリ派のガラス工芸の最大の特徴は、ジャポニズムにあるといえましょう。ナンシー派におけるガレのように、その流れを創り、牽引したのはウジェーヌ・ルソーといわれています。
19世紀後半から20世紀前半にかけてパリ(郊外)には多くのガラス工場が軒を並べ、ガラス工芸が大いに発展しました。日本ではナンシー派に比べてあまり知られていないようですが、パリ派の工芸ガラスは欧米では人気があります。最近は関連の書物も続々出版され、とみに脚光を浴びている感があり、広く再認識されて値段もどんどん上がっております。
そんなパリ派のガラス作家(及びメーカー)とその作品をご紹介したいと思います。

Eugène ROUSSEAU ウジェーヌ・ルソー (1827-1890)
パリ派の代表的ガラス作家として知られているが、彼は広い意味でのクリエイターであってガラス工芸家でも製造者でもなかった。パリで陶磁器やクリスタルの卸売業を営んていた父を手伝い、後を継いだ経営者であったが、早くから日本美術に着目し、フェリックス・ブラックモンに北斎漫画をテーマにしたテーブルウェア(陶器)のシリーズを発注したりなど、オリジナルなジャポニズム(日本趣味)商品を企画開発し、ブランドを確立するに至る。自らもデザインや技法の研究に手を染めたが、実際のガラス制作はクリシーにガラス工房を持つアペール兄弟および優秀な彫師ウジェーヌ・ミッシェル、ジョルジュ・レイエン等によって実践された。
1885年からは友人で弟子でもあったエルネスト・レヴェイエが共同経営者となり、二人の名前で造られた作品は万博で受賞したり、国内外の美術館に買上げられたり当時より高く評価された。
ジャポニズムをはじめとする東洋美術にインスパイアされた造形と装飾、乾隆ガラスを真似たカメオ彫りや模玉ガラスの技法を取り入れた彼等の作品は、斬新でそれまでのヴェネチアンやボヘミアンのスタイルを踏襲していたに過ぎないフランスのガラス工芸界を大いに刺激し、流れを変えたといっても過言ではない。

Ernest LEVEILLE エルネスト・レヴェイエ (1841-1913)
1869年よりパリのオスマン通りに自分の店を構え、陶磁器やクリスタルの販売業を営んでいたが、1885年よりウジェーヌ・ルソーの共同経営者および共同制作者となり、1890年よりルソーの後継者として活躍。作風は初期には師のルソーに倣った硬い感じのものであったが、1890年以降は流行を反映して徐々にデフォルメされ、曲線的になり、華やかさを増したものへと変わっていった。

Eugène MICHEL ウジェーヌ・ミッシェル (1848-?)
ナンシーの傍のリュネヴィルでクリスタルのカットやグラヴュールをする職人だった父の子として生まれる。ウジェーヌ・ルソーに才能を見出され、1867年(19歳)からルソーのために、ルソー引退後はレヴェイエのために彫師として働く。その後パリで独立するも1914-1918年の大戦中に消息を絶つ。卓越したテクニックの持主で、カメオ・ガラスの制作に名人芸を発揮する。作風は師のルソーのジャポニズムを継承しながらも、独自の繊細な技術や感性を生かした花のモティーフなどの自然派作品が多い。ルソーとガレ双方の感性を併せ持つ作家と看做されている。

Georges REYEN ジョルジュ・レイエン (生没年不明)
1870年頃にはステンドグラスの彩色と彫刻をしていたが、その後エミール・ガレの為に彫師として働く。1877年頃ウジェーヌ・ルソーに注目され、彼の最も優秀な協力者として制作にたずさわる。作品はルソーによって触発されたジャポニズムとステンドグラス作家としての感覚を見事に融合させた非常にアーティスティックで、独創的なテクニックを駆使したものであった。最もオリジナリティを持った作家のひとりと評価されている。

ウジェーヌ・ミッシェル" 水仙"1900年頃、ジョルジュ・レイエン"野の草"1894年

以上、パリ派の核となるウジェーヌ・ルソー一派の人と作品についてご紹介しました。
画像は、パリ装飾芸術美術館、オルセー美術館、DROUOT.COMのサイトより拝借しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿