2018年2月8日木曜日

雪が降る…

ついに雪が降りました!
5日の午後から降り始め、夕方には殆ど溶けて無くなりましたが、6日朝からは本格的に降り出してほぼ一日中チラチラと降り続け、7日の朝は10㎝以上積もっておりました。
ニュースではパリで12cmの積雪、これは約30年ぶりとのことです。
しかも寒い!普通2~3℃ぐらいの時に雪が降るようですが、今回は-1℃ぐらいで降っているのです。
今朝(8日)も5時ぐらいで-4℃でした。きょうは降らないみたいだけれど明日も降るようです。
昨日も一昨日もお昼は雪見酒しました。出かける用事も無いし、なんか嬉しい~。

6日夜18時30分頃、降る雪の中、家の前の広場で。

同じく家の前の道。

7日朝8時頃、書斎の窓から

同じくバルコニー

同じく食堂の窓から


2018年1月29日月曜日

ゴーギャン展 -その2-

相変わらず雨時々曇りの天気が続いていて、セーヌ河やマルヌ河の増水により各地に洪水が起きています。
パリとその周辺も既に洪水の被害があちらこちらに出ていて、今現在も洪水警戒地域(オレンジゾーン)になっております。
我家の辺りはセーヌ河やその支流のイエール川からは1km以上離れているので大丈夫ですが、隣町のヴィルヌーヴ・サン・ジョルジュでは洪水の被害に遭っている家がたくさんあるようです。
家を探して色々な物件を見て回っていた時、隣町の川岸の家も見て、庭からボートで川に出たり釣りが出来たりするなんて素敵!と惹かれたのですが、買わなくて正解でした。
ここ数日、Oが体調を崩し寝込んでおり、私もBokuの散歩以外ほとんど家に籠りっきりなので近隣の町の情況は実際見ておらず、大使館からのメールやネットで異常を知り驚きました。

さて、また少し間が空きましたがゴーギャン展の続きです。

《 私はタヒチに行きます、そしてそこが私の終の棲家になればと思います。貴方が愛してくださる私の芸術は、私の萌芽に過ぎません。私は彼の地にてその芽を自らの為に育てたいと願っています、原始的で野性的な状態で。》
ゴーギャンからオディロン・ルドンへ 1890年
この大きな写真パネルがタヒチ以前と以後の展示作品を隔てる階段の踊り場に掲げられていた。

《ウパウパ》(祭)または《火の踊り》或いは《悪魔は語る》1891年

《タヒチの女達》または《浜にて》1891年

《Ahaoe Feii?》(何、嫉妬してるの?)1892年

《Te Nave Nave Fenua》(芳しき大地)1892年
タヒチのイヴとも言えるこの同じ主題でパステル、モノタイプ、木版画などが作られた。

《Tehura》(テフラ)又は《タヒチ女の顔》或いは《テハマナ》木彫 1892年
テハマナ(通称テフラ)はゴーギャンの描いた多くのタヒチ女のモデルとなった少女で、彼のタヒチでの妻を兼ねていたらしい。上の絵も彼女がモデル。

《タヒチの牧歌》1892年

《Noa Noa》(芳しき香り)木版画 1893-1894年
ノアノアは、ゴーギャンが執筆したのタヒチ紀行または随想集の題名。

《I Raro Te Oviri》(私はラロ、あなたはオヴィリ)又は《パンダナスの下で》1891年


《Nave Nave Moe》(芳しき水)1894年


《Merahi Metua No Tehamana》(テハマナの祖先たち)1893年


《Manao Tupapau》(死霊が見ている)1892年


《帽子を被った自画像》1893-1894年冬
背景に上の絵が描かれている。


《 Mahana No Atua》(神の日)1894年


《Oviri》(野生)部分的に施釉された炻器 1894年


《白馬》1898年


《 Te Rerioa 》(夢)1897年


《そして彼女達の肉体の黄金》1901年


《ヴァイルマーティ》または《彼女の名はヴァイルマーティ》1897年


《Faa Iheihe》(タヒチの牧歌)1898年


《Rupe Rupe》(豊穣)または《果実の収穫》1899年


《Nave Nave Mahana》または《芳しき日々》1896年


《快楽の家》の入口の装飾パネル 木彫 1901-1902年
タヒチを去り、マルキーズ諸島のヒバ・オア島に移ったゴーギャンが建てて住んだ家のファサード。


《祈り》1903年
上のファサードの奥に展示されていた絵。


《テレーズ》と《好色な神父》木彫 1902年
《快楽の家》の入口への階段の左右に飾った彫刻で、土地のカトリック布教所の神父とその愛人と噂される召使いとを当てこすったものらしい。


《偶像(ヒナ神)のある自画像》1893年

展示作品はまだまだ在りましたが、人だかりが切れず撮れなかったり、撮ったけれどボケてたりで、何とか撮れて見られる写真だけを掲載しました。
ゴーギャンの世界、魅了されました!溢れんばかりの才能に圧倒されました。
おそらく本人は地上の楽園と夢見た土地でもっともっと自由に自分の芸術を育み、開花させたかったのだと思いますが、病や訴訟(名誉棄損で告訴され投獄もされた)や資金調達やらで体力を消耗し、惜しくも54歳の若さで世を去りました。
しかし短くも濃い滅茶苦茶な生涯を送り、あれだけ大量のしかも多彩な作品を残した怪物ゴーギャン、もっと生きていたらどんなことになっていたのでしょう。

2018年1月23日火曜日

ゴーギャン展 -その1-

昨年末からずっと悪天候が続いており、毎日雨がショボショボ降って嫌な感じです。

年明けに、今年は頻繁にブログを更新すると宣言したばかりなのに、もう3週間もサボってしまいました。
まあ、色々と忙しかったのも事実なのです。10年に一度のフランス滞在許可証の更新、姉妹社の初荷開き、シャルトルとルアンの骨董市での宝探し、等々。

そんな訳で、元日にグラン・パレに観に行った『ゴーギャン -錬金術師-』展のリポートを今頃やっとまとめることに…。ゴーギャン展はとても見応えがありました!
写真撮影可だったのでたくさん撮ってきました。タヒチ以前と以後の2回に分けて掲載しましょう。
ポール・ゴーギャン(1848年パリ生-1903年マルキーズ諸島没)の名前と代表的な絵画作品は、特に美術に詳しい人でなくても知っていると思いますが、54年の短い生涯の殆どをあちらこちら風来坊のように過ごしながらもこれほどの膨大な作品を残し、しかも絵画の他に彫刻、版画、陶芸、家具や家まで作ったマルチなアーティストだったことを知る人は少ないのではないでしょうか。

木彫の戸棚 1881年

静物画 《グロアネックのお祝い》1888年
ゴーギャンが滞在していたPont-Avenのペンションの女主人グロアネックの誕生日に贈った絵

 《美しきアンジェル》1889年


《葉と葡萄の房とガチョウで飾られた花瓶》1887‐1888年冬


(左)《人の形をした壺》または《グロテスクの頭の形をしたゴーキャンの肖像》1889年
(右)《切り株の形をした花瓶》 1887-1888年冬


《黄色いキリストのある自画像》1890-1891年
自画像の右側に上の写真のグロテスクの壺が描かれている


《扇のある静物画》1889年


(左)ゴーギャンの家にあった古い木のジャグ (右)《ジャグとカップのある静物画》1880年


《眠る子供》1884年
この絵にも上のジャグが描かれている


(左)フォンテーヌ(飲料用タンク)の台座と蓋 陶製 1889年
(右)《女のマスクの付いた壺》陶製 1887-1888年冬


《ブルターニュの農婦》1894年


《ブルターニュの少女達のロンド》1888年


《フォンテーヌの形をした花瓶》1886-1887年冬


《ジャルディニエール》陶製プランター 1886-1887年冬


《身繕い》木彫 1882年
上のジャルディニエールの一面の元になったレリーフ


《一足のサボ》木彫 1889-1890年


(左)《二口花瓶》1886-1887年冬
(右)《ブルターニュの光景を装飾した花瓶》1886-1887年冬


戸棚《地上の楽園》木彫 1888年
エミール・ベルナール(Pont-Avenで出会った同士的な画家)との合作


《カリブの女》油彩板絵 1889年


《Luxure(煩悩)》木彫 1890年


《運河の岸の洗濯女達》1888年


《波の中の女》パステル 1889年


《神秘的であれ》木彫 1890年


《愛の森の水車小屋での水浴》または《水浴するブルターニュの少年達》1886年


《収穫》または《貧困》1888年

《果物のある静物画》1888年
上の絵の貧しさを象徴する少女の顔が隅に描かれている


(左)《ヤコブ・メイエル・デ・ハーンの肖像》デッサン 1889年
(右)《ヤコブ・メイエル・デ・ハーンの肖像》木彫 1889年
デ・ハーンはオランダ人の画家で、ブルターニュのプルデュ村のペンションにゴーギャンと共に滞在し、ゴーギャンから絵を学びその代価として彼の宿代を払ったとのこと。一緒にタヒチへ行く計画を立てていたが、実家からの仕送りが断たれた為帰国せざるを得なかったらしい。ゴーギャンの作品に度々登場する親密な人物だったようだ。

以上、タヒチ以前の展示作品をアトランダムというか、およそ私が観た順に挙げてみました。
タヒチ以後はまた次回のお楽しみ、ということで今日はここまでにします。